歌詠鳥 俳句

発行者: 13.12.2022

トピックス一覧 春耕句会案内 お問い合せ. など、6首が知られている。  こうして、鶯については、「平安時代に入ると、いくつかの例外はあるけれども、ほとんどすべては梅の花とともによまれ……」(『歌枕歌ことば辞典』鶯))となり、「梅に鶯」は和歌の代表的な景物の一つとなっていったといわれる(『梅に鶯』の成立と変容)。『古今和歌集』の仮名序に記される紀貫之の歌論の中の「花に鳴く鶯」も「梅に鶯」を想定したものといわれる(『古今和歌集全評釈』)。その後、「鶯宿梅の故事」へと展開される。こうして、「梅に鶯」は定着して行ったものと思われる。.

の和歌は鶯の輪廻再生を詠んだものであり、承暦 じょうりゃく 2年(年)という年代が明らかになっている。この頃には輪廻再生の思想が知られていたとみられる。  一方、永承7年(年)は末法元年とされ人々に恐れられた。 この時代は、貴族の摂関政治が衰え院政へと向かう時期で、また武士が台頭しつつもあり、治安の乱れも激しく、民衆の不安は増大しつつあった。また仏教界も天台宗を始めとする諸寺の腐敗や僧兵の出現によって退廃していった。このように末法の予言が現実の社会情勢と一致したため、人々の現実社会への不安は一層深まり、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒していった。仏教が堕落し社会が混乱している時代に育った鎌倉新仏教の祖師たちに大きな影響を与えた 『ウィキペディア』末法思想)、という。  このように見てくると、輪廻再生とか転生の思想は、末法の時代とともに広まっていったのであろう。. この句では、缶を缶切りで開ける 「こきこきこき」という擬音語 を用いています。擬音語のことを、オノマトペともいいます。.

古書店に自著出て雪の別れかな 千田一路[風港] 「風港」年5月号  自著が刊行後まもなく古書店に出るのは誠に複雑な気持ち。幾らの値がついているかも不安材料。まして狭い地域の話ならなおさら誰が持ち込んだかも気になる。「雪の別れ」の季語が何とも言えなく利いている。. Facebook Twitter はてブ Pocket Feedly. 統計のまことしやかに獺祭 上谷昌憲[沖] 「沖」年5月号  昨年末に始まった厚労省による「毎月勤労統計データ」の不適切処理を俳人の眼でからかっている。獺祭(おそのまつり・おそまつり)は獺が春になって岸辺に魚を並べてから食べると中国の人が見立てた季語。統計の基礎データを偽って並べて国民をたぶらかそうとする政府への強烈なパンチ。.

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この和歌は、紫の上の養女として育てられている明石の姫君に宛てた、実母の明石の御方からの手紙(歌)である(Webサイト『源氏物語の世界』)。長い間待っている年老いた人に鶯、すなわち明石の姫君の初音を聞かせて欲しいと頼んでいるのである。  「年月をまつ」と「まつに引かれて」の「まつ」は、「待つ」と「松」で、掛詞となっている。そして、春の御殿で、明石の御方から紫の上に木伝いして養育される明石の姫君を鶯(和歌は後述)にたとえている。そういう前提のもとに、明石の御方の気持ちである「待つに鶯(明石の姫君 }の状態が松に引かれて「松に鶯」に変化していったものと思われる。また、「松」と「引く」は縁語である。正月に小松を山から引き抜いてくる風習を指している。じっと眺めていると味が沁み出してくる、そんな味わい深さがある。.

鶯宿梅 ――― 故事と伝説

三浦半島の活性化 地域産業と共に未来を拓く 認定NPO法人 産業クラスター研究会. 子を殴ちしながき一瞬天の蝉 三月やモナリザを売る石畳 北欧の船腹垂るる冬鴎 獄を出て触れし枯木と聖き妻 運動会少女の腿の百聖し 死の見ゆる日や山中に栗おとす ライターの火のポポポポと滝涸るる 冷されて牛の貫禄しづかなり 終戦日妻子入れむと風呂洗ふ 降る雪に胸飾られて捕へらる.

空港を浮かべて茅渟の春霞 高野清風[雲の峰] 「雲の峰」年5月号 大阪湾に造られた関西国際空港を遠望して出来た句。大阪湾の上にある無機質な構造物であるが大阪湾を古称の茅渟の海(ちぬのうみ)を用いて俄然詩になった。. 思ひきり負鶏の首抜くをんな 河竹岡一郎[鷹] 「俳句」年4月号  闘鶏の句。一句目は日本にもある光景かなと思った。闘鶏を見ている男たち女たちが興奮して脂ぎった声を飛ばしているところ。しかし二句目になると負鶏をつかまえて「首を抜いて」しまう女が出てくる。こうなると日本ではなく海外のどこかの闘鶏と言わざるを得ない。残酷だがこれが現地の生きざまなのだと納得。. しかし、この時代にはより切実な問題があったことが窺われる。日蓮の孫弟子の日像は、後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺(みょうけんじ)を建立した。建武元年(年)後醍醐天皇より綸旨(りんじ)を賜り、勅願寺となる(『ウィキペディア』日像)。その後、京都には法華宗の寺院が次々と建立され、本山だけでも21ヶ寺を数えるほどに法華宗が勢力を拡大して行き、「題目のちまた」と呼ばれるようになる(Webサイト『フィールド・ミュージアム京都』)。  奈良、平安時代からの仏教諸派は、鎌倉新仏教の誕生により、それに対抗する必要性が生じ、いろいろな対抗策を講じていた時代である(Webサイト『ウィキペディア』鎌倉仏教)。法華宗が勢力を拡大して行く時代においては、対抗策はより重大であろう。  古刹の高天寺も対抗策を考える必要があったものと推測される。その結果、和歌説話から結び付く有名な鶯宿梅の故事に関わる名前を梅の古木に名付け、布教に努めたものと考えられる。源氏供養や和泉式部供養といって有名な名前を使い、布教に努めたことも知られている。  さまざまな要因があり関わりがあると思われるが、おそらくは鎌倉新仏教への対抗策ということが主要な動機ではなかったかと思われる。.

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2022年11月の俳句

ところで、雅とは、「宮廷風であること。都会風であること。優美で上品なこと」(『広辞苑』)、である。 奈良時代、唐をモデルにして、中央集権国家が樹立され、平城京という都が制定され、平城宮という宮殿が建立される。一国を構えていた多くの豪族は貴族として体制の中に取り込まれ、唐風文化を育んで行く。まさに雅そのものがそこにはあったと思われる。大伴旅人はそのような貴族の一人である。  次の和歌は、小野老(おののおゆ)が大宰府に下向した折に都を偲んで詠んだものである。. という歌論があり、それに由来した鶯の異名として「歌詠鳥」がある。鶯が鳴くのを、歌人が歌を詠むのに喩えて名付けられた異名である。  また、江戸時代前期の和歌の研究書『本朝一人一首』や江戸時代中期の俳諧歳時記『滑稽雑談』には、.

この和歌は、紫の上の養女として育てられている明石の姫君に宛てた、実母の明石の御方からの手紙(歌)である(Webサイト『源氏物語の世界』)。長い間待っている年老いた人に鶯、すなわち明石の姫君の初音を聞かせて欲しいと頼んでいるのである。  「年月をまつ」と「まつに引かれて」の「まつ」は、「待つ」と「松」で、掛詞となっている。そして、春の御殿で、明石の御方から紫の上に木伝いして養育される明石の姫君を鶯(和歌は後述)にたとえている。そういう前提のもとに、明石の御方の気持ちである「待つに鶯(明石の姫君 }の状態が松に引かれて「松に鶯」に変化していったものと思われる。また、「松」と「引く」は縁語である。正月に小松を山から引き抜いてくる風習を指している。じっと眺めていると味が沁み出してくる、そんな味わい深さがある。.

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鶯宿梅 ――― 故事と伝説(2018年10月改訂)

鳥わたる こきこきこきと 缶切れば (読み方:とりわたる こきこきこきと かんきれば). 春耕俳句会 ワールドトリガー 小南 烏丸 東京都文京区白山2丁目-1-13 春耕俳句会とは 主宰あいさつ 主要同人・ゆかりの俳人 春耕賞受賞作品 想い出の俳人 入会のご案内 月刊俳誌「春耕」最新号 これまでの月刊俳誌「春耕」 主宰近詠 今月の秀句 同人作品秀句鑑賞 会員作品秀句鑑賞 連載記事 アーカイブス 俳句資料室 吟行記録 役立つリンク集 句集鑑賞 会員出版物のご案内 主要同人俳句作品 朱鷺作品集.

投稿タグ 片山由美子西山睦秋篠光弘小島健竹岡一郎上谷昌憲高野清風中川雅雪中村嵐楓子千田一路工藤進. 白魚の目玉もつとも泳ぎけり 小島 健[河] 「俳句」年4月号  泳ぐときは白魚も全身を使って泳ぐのであるから実景としてはあり得ない光景。しかし、透き通って見える白魚は水中では目玉の黒いところだけがはっきり見えるのである。白魚の場合は目玉がもっとも泳いでいるとみなした作者の見立ては成功しすっきりしたいい句になった。.

  • この句では、「秋空を飛んでいく渡り鳥たち」と「缶詰を開ける音」という、本来は関係のない言葉を組み合わせることで、 句に強い印象を与えている のです。.
  • 鶊(うぐひす)鳴きて梅院暖(あたたか)けく 花落(ち)りて春風に舞ふ   という梅と鶯を詠んだ例がみられる。「梅に鶯」が成立したのはこの頃であろう 『「梅に鶯」の成立と変容』 、という。  こののち、寛平期に入ると、和歌の歌合せがしばしば催され、前述の大江千里の和歌など多くの和歌が詠まれ、最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』に収録される。『古今和歌集』における「梅に鶯」については、.
  • と讃えられることになる。  また、鶯宿梅の名前は、その梅のような香り高く味わい深いものを届けたいという思いから、「梅酒」の商品名としても残されることにもなる(Webサイト『合同酒精株式会社』)。.
  • 三浦半島の活性化 地域産業と共に未来を拓く 認定NPO法人 産業クラスター研究会.

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俳句の表現方法「取り合わせ」とは、 季語と直接は関係のない言葉を組み合わせて句を作ること をいいます。. 本記事では、 「鳥わたるこきこきこきと缶切れば」の季語や意味・表現技法・作者など について徹底解説していきますので、ぜひ参考にしてみてください。.

この高間は奈良県御所市高天のこととある。したがって、高間寺は高天寺のことであり、この和歌説話は高天寺縁起の伝承と考えてよいと思われる。なお、「標刺さまし」は恋のしるしを刺すことである。    さて、高天彦神社の参道にある梅の古木が何故鶯宿梅と呼ばれるようになったのであろうか。そのことについて、もう少し掘り下げてみよう。  鶯宿梅伝説と鶯宿梅の故事とは直接的な関わりのないものである。それに関わりをつけるにはそれなりの根拠が必要になる。  まず、両者に共通する要素を探すと、梅の木に鶯が来て止まる、すなわち鶯宿ということである。これだけでよいと思われるかもしれないが、根拠が十分でない。鶯が早春に梅の木に止まることは稀であるが、それでも皆無ではない。そのように考えると、鶯宿梅という伝承のある梅はもっと存在しなければならない。また、鶯宿梅という品種の梅ならば鶯宿梅と呼ばれても不思議ではない。しかし、そういうことでもなさそうである。.

今あるもやがて遠き日春の雲 西山 睦[駒草] 「俳句」年4月号  今、眼前にある、春の雲の浮く景色もやがて遠き過去のものになってしまう。こんな懼れってだれもが持つことがあるだろう。二度と見られなくなる景色。私たちはこうした瞬間を次々に過ごしている。春の雲の浮く、心が和む光景を見続けていると、急にこの幸せな光景を再び見ることができるのかと不安になる。誰にも訪れてくる瞬間を句にまとめた。.

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